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東京高等裁判所 昭和48年(ネ)2198号 判決

控訴人

日本道路公団

右代表者

前田光嘉

右指定代理人

加納昂

外三名

被控訴人

志満津邦生

被控訴人

志満津糸子

被控訴人

藤岡八重子

右被控訴人三名訴訟代理人

鶴岡誠

外一名

主文

原判決中控訴人関係部分を取消す。

被控訴人らの控訴人に対する請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実《省略》

理由

(一)  昭和四四年九月二二日午後六時五〇分頃、千葉県市川市原木一、〇〇〇番地先京葉道路上において、右道路を横断中の訴外亡志満津高輝が、原審被告高石正美の運転する普通乗用車いすずベレツト一、六〇〇CCに衝突されて死亡したこと、本件事故の発生した地点は京葉道路のうち市川区間と呼ばれるところであつて、同区間が昭和三五年四月二九日に供用開始され、昭和三六年八月一五日に自動車専用道路に指定されたこと、右区間の京葉道路は農道と平面交差をしているが、京葉道路側には横断標識および横断標示はなく、農道との交差箇所のガードケーブルが中断されている状態にあることは、いずれも当事者間に争がない。

(二)  被控訴人は、控訴人が、首都圏に直結する幹線道路の一つである京葉道路に平面交差点を設けたこと、かかる平面交差点を存置したまま京葉道路を自動車専用道路に指定したこと、また、平面交差点のある箇所の京葉道路側に自動車運転者の注意を促すためのなんらの標識をも設けなかつたことは公の営造物もしくは土地の工作物の設置もしくは管理(保存)に瑕疵がある場合に該当し、または道路の設置者もしくは管理者の過失であるとして、控訴人は、国家賠償法第二条もしくは民法第七一七条または同法第七〇九条の規定により本件事故による損害を賠償する義務がある旨主張するところ、〈証拠〉を総合すると、本件事故現場は、ほぼ東西に通ずる京葉道路の原木インターチエンジ東方約二五〇米の地点で、右道路と幅員約1.4米の農道とがほぼ直角に交差している箇所であり、右京葉道路は幅員約一四米、センターラインによつて上下線に区分され、両線とも二車線(各車線の幅員約3.5米)に分れ、コンクリート舗装が施され、道路の両側端には高さ約一米のガードケーブルが設置されているが、右農道との交差点部分では、右ケーブルが約1.5米幅で中断されていて、農道側に面して「危険、自動車専専用道路、横断者は右と左をよく見て通行して下さい。日本道路公団」と表示した立札と、自動車を図示した円盤およびその下に「横断注意」と表示した板を組合せた標識とが設置されていること(丙第一号証写真を見よ。)原審被告高石正美は、本件事故当時、加害車を運転し、時速約六五粁で京葉道路下り車線第一通行区分帯を千葉方面に向つて進行していたが事故現場附近に差しかかつた頃は、既に日が暮れていて霧雨が降つていたため、前照灯を下向きに点灯し、ワイパーを作動させつつ運転していたこと、当時上り車線の交通量は多かつたが、下り車線は比較的空いており、追突を懸念すべき後続車輛はなく、また加害車の先行車は約一五〇米前方にいたため、加害車前方の見通しは良好であつたこと、高石は、加害車が事故現場の約七四米手前に差しかかつたとき、本件事故現場である前方交差点左側道路上に、訴外亡志満津嘉輝が左手に鞄をかかえ、身体を南方に向けたままで顔は加害車の方に向け、道路を横断しようとして自動車の列の途切れるのを待つている様な姿勢で立つているのを発見したが、嘉輝が加害車の通過を待つてくれるものと信じ、そのままの速度で約二四米進行したところ、嘉輝が加害車の方を見ながらゆつくりした歩調で横断を開始したのを認めたけれども、嘉輝が加害車に注目しており、また加害車との距離も既に約五〇米に接近していたため、当然嘉輝が加害車の通過を待つてくれるものと思い、同人の前方を通過すべく第一通行区分帯から第二通行区分帯に移行したうえ、警音器を吹鳴することもなく、従来の速度で進行を続けたこと、然るに嘉輝は立止らずになおもゆつくりした歩調で横断を続け第一通行区分帯と第二通行区分帯の境界線附近まで進出した後、急に歩速を早めて第三通行区分帯上を横断し始めたので、高石はこのまま加害車を進行させれば嘉輝の後方を通過し得るものと考え、既に同人と加害車との間の距離が約三五米に接近しているにもかかわらず、減速、徐行、警音器吹鳴等の処置をとることなく、そのまま進行し、嘉輝との距離が約一二米に接近した時、突然嘉輝が第二進行区分帯上の中央よりややセンターライン寄りの地点で立止つたのを目撃し、咄嗟に衝突の危険を感じて急制動の措置をとつたが及ばず、加害車の前部右側を嘉輝に激突させ、一旦嘉輝の身体をボンネツト上に跳ね上げた後、右前方対向車線上に跳ね飛ばし、よつて同人に右大腿骨、顔面骨折等の傷害を負わせて即死させたこと、高石(当時一八才)は、本件事故以前において本件事故現場を幾回となく通行しており、同所が農道との交差点となつていることを熟知していたが、事故当日は、友人二人と共に自動車事故による示談交渉のため東京都内に赴いた帰途に本件事故を起したものであること、他方、被害者志満津嘉輝(当時二九才)は、東京都北区十条台所在の陸上自衛隊第一〇二高射全般支援隊に勤務する三等陸尉であつて、本件事故発生一週間前である昭和四四年九月一五日、本件事故現場の南方にある千葉県市川市二俣六七八番地所在の防衛庁宿舎に転居して来たもので、勤務先への通勤には国鉄東西線を利用し、本件事故現場の北方に所在する西船橋駅で乗、下車し、転居後通勤五日目の勤務先からの帰途に本件事故に遭遇したものであること、なお、嘉輝が新に入居した右防衛庁宿舎と西船橋駅との間の往復は、本件事故発生現場である交差点を通つて京葉道路を横断するのが最短距離であるが、本件事故現場の約二五〇メートル西方には原木インターチエンジがあり、ここでは県道船橋浦安線が京葉道路と立体交差をしており、多少迂回路にはなるが、この県道を利用して西船橋駅との間を往復すれば、京葉道路を平面横断することに伴う危険は避けられるものであること、およそ以上の事実を認めることができる〈証拠判断略〉。

以上認定の事実によれば、加害車の運転者高石正美が、本件事故現場には京葉道路と平面交差する農道が存在することを知つており、かつ、右交差点を横断すべく右道路脇で自動車の列の途切れるのを待つている志満津嘉輝を前方約七四米の地点に確認し、然もその後における同人の横断歩行の状況を逐一目撃しているにもかかわらず、同人の前方或いは後方を通過し得るものと軽率に判断して何ら減速、徐行、警音器吹鳴等の措置をとることなく、漫然時速約六五粁の高速度のままで進行を続けた点において、高石に自動車運転上の過失があつたことは明らかである。然しながら、他方、被害者嘉輝においても、本件京葉道路が自動車専用道路で、自動車が高速度でここを往来していることを認識していたものと認められるのであるから、右道路を歩行横断するに当つては、左右の安全を十分確認した上で横断を開始すべき注意義務があるものというべきところ、高石運転の加害車が高速度で進行接近しつつあつたことを認識していたにも拘らず、加害車の通過を待つことなく横断を開始した点において、嘉輝に自動車専用道路の横断歩行者として当然なすべき安全確認の注意義務を怠つた過失があつたことを否定することができないのであつて、本件事故は、以上に述べた加害車の運転者高石の過失と横断歩行者嘉輝の過失が競合して生じたものであり、両人がそれぞれ自動車の運転者または自動車専用道路の横断歩行者としてなすべき注意を怠らなかつたならば、本件事故の発生は未然にこれを防止し得たものというべきである。

(三)  右認定のとおりであるとすれば、本件事故は、加害車運転者高石と被害者嘉輝の過失によつて生じたものであつて、本件事故現場において京葉道路が農道と平面交差していたこと、また平面交差点を存置したまま京葉道路が自動車専用道路に指定されたことによつて生じたものとはいうことができないのである。もつとも、本件事故現場に農道との平面交差点がなく、あるいは、右交差点が立体化されていたと仮定するならば、本件のような事故は発生しなかつたであろうと言えないことはないにしても、このことから直ちに京葉道路の開設に当り、同道路に平面交差点が設けられたこと、またはこの交差点が自動車専用道路の指定後も立体化されていなかつたことが本件事故の原因であると結論することはできないのであつて、この理は、本件事故の被害者嘉輝が、もし本件事故現場の交差点を通つて京葉道路を横断していなければ、本件のような事故は起ることがなかつたであろうということから、直ちに嘉輝の横断行為そのものに本件事故の原因を求めることができないのと同じである。

嘉輝が居住する防衛庁宿舎と国鉄東西線西船橋駅との間の往復のためには、本件事故現場の交差点を通つて京葉道路を横断する以外には他に方法がないというわけではなく、本件事故現場の西方二五〇メートルの地点には原木インターチエンジがあり、ここでは京葉道路と立体交差する県道を通ることによつて、より安全に京葉道路を横断することが可能であるとしても、本件事故現場に農道との交差点が設けられている以上、嘉輝がこの交差点を通つて京葉道路を歩行横断したことを同人の過失によるものとすることができないのは当然である。ただ、京葉道路が自動車専用道路である以上、これが横断歩行者には危険防止のために相当の注意義務が要求されるべきこともまた当然の事理であつて、本件事故現場における平面交差点の存在は、決して横断歩行者の注意義務を免除し、または軽減するものとはいうことができない。本件事故が加害車運転者高石と横断歩行者嘉輝の過失の競合によつて発生したものと認むべきことは右に認定したとおりであつて、右両名が自動車運転者として、また、自動車専用道路の横断歩行者として、それぞれなすべき注意を怠らなかつたとしても、なおかつ本件のような事故発生が不可避であり、または事故発生を防止することが困難であつたというような事情は、本件に顕われたすべての証拠によつても、これを認めることができない(却つて〈証拠〉によれば、京葉道路のうち市川区間における事故多発地点は、信号機の設置されている二箇所であり、自動車と右道路の歩行者との衝突による事故は極めて少数であることが認められるのであつて、このことからも自動車運転者と専用道路の横断歩行者とがそれぞれそのなすべき注意を怠りさへしなければ、本件のような事故は、これを未然に防止し得たものであることを窺うに難くない。)。してみれば、京葉道路の開設に当り同道路上の本件事故現場に農道との平面交差点が存置され、また右平面交差点を存置したまま同道路を自動車専用道路として指定し、供用することが、道路の設置または管理(保存)に瑕疵がある場合に該るかどうか、また、道路の設置者もしくは管理者の過失に該るかどうかを論ずるまでもなく、右平面交差点の存在または右平面交差点存置のままなされた自動車専用道路指定と本件事故との間には、損害賠償の帰責事由である因果関係の存在を認めることができないものといわなければならない。

しかのみならず、〈証拠〉を総合すると、京葉道路は、はじめ一般国道一四号線の迂回路として昭和三五年四月二九日供用開始された一般国道であり、そのうち東京都江戸川区一之江町一丁目二九番地八から千葉県市川市大和田字宮の後六番地を経て同県船橋市海神町三丁目二一四番地に至る区間(市川区間)が、昭和三六年八月一五日建設大臣によつて自動車専用道路に指定され、本件事故現場も右自動車専用道路区間に含まれることとなつたのであるが、右区間には三三個所にも及ぶ農道等小道との平面交差点が設けられており、本件交差点もその一つとして、地元住民の要望により従来から存在した農道を閉鎖することなく京葉道路と交差せしめたことによつて生じたものであつて、右農道は交通量も極めて少かつたこと、現在本件事故現場には、二俣歩道橋が設置され、従来の平面交差点は廃止されているけれども、これは自動車交通量の増加に伴い、市川区間が昭和四五年一二月以降従来の四車線を(巾一六メートル)を六車線(巾三二メートル)に拡幅工事をする際の附帯工事として立体交差の工事が行われたことによるものであつて、横断者の安全を図るということよりむしろ自動車交通の円滑を図ることを目的としたものであることが認められるところ、京葉道路が一般国道である限り、それは人や車が自由に通行することができる混合交通を原則とする道路であり、これに既存の道路との平面交差点を存置したとしても、そのこと自体はなんら道路法その他の法令の規定に牴触するものではなく、また京葉道路が自動車専用道路に指定された後においても、同道路と交差する道路は一律にすべて立体交差としなければならないものではない。一般に自動車専用道路と交差する道路については、立体交差方式を採ることが原則であるけれども(道路法第四八条の三)、当該道路の交通量が少ない等の場合には平面交差とすることも許容されているのである(右同条の三但書)。本件農道は前述のとおりその交通量が僅少であるのみならず、このような農道を立体交差とすることによつて増加する工事の費用が、これによつて齎らされる利益を著しく超えることは明かというべきであるから(道路法施行令第三五条第三号参照)、京葉道路が自動車専用道路に指定された後において、右農道との交差点を平面交差のまま存置したとしても、なにら法令の規定に違背するものではない。もとより道路の設置者、管理者が交通事故の防止につき意を用うべきことは当然であり、また、道路の設置もしくは管理について法令の規定の違背がないということは、そのまま直ちに道路の設置または管理に瑕疵がないこと、または道路の設置者や管理者に過失がなかつたことを意味するものではない。しかしながら、京葉道路と本件農道との交差には立体交差方式を採るのでなければ、それが道路の設置もしくは管理の瑕疵となり、または道路の設置者もしくは管理者の過失責任が問われるということになるならば、ひとり本件農道のみならず、上述した市川区間における他の三二本の交差道路のすべてについて等しく立体交差方式を採らなければならないこととなるのであつて、このことは、これらの小道を通行する歩行者のために、京葉道路の設置者や管理者に対し、いわば百パーセントの安全措置を要求することであり、一般に本件京葉道路のような幹線道路の開設が、その沿線に居住し、またはそこに農耕地等を所有する人々の利害と一般公共の利害とを調整することによつて始めて可能となるものであることに思いをいたすならば、右のような要求は、かならずしも現実的であるとは言い難く、もし強いてこのような要求を貫こうとするならば、道路の開設そのものを不可能ならしめる結果ともなりかねないのである。先にも説明したように、本件事故は、加害車の運転者である高石正美と被害者である志満津嘉輝とがそれぞれそのなすべき相当の注意を怠らなかつたならば、これを回避し得たものであることをも併せ考えれば、京葉道路に本件農道との平面交差点が設置され、また京葉道路が平面交差点存置のまま自動車専用道路に指定されたことを以て、京葉道路の設置もしくは管理に瑕疵があるとし、または道路の設置者もしくは管理者に過失があつたとすることもできないものというべきである。

(四)  被控訴人らは、更に、本件交差点の京葉道路側に自動車運転者に対し横断歩行者のあるべきことにつき注意を促すための標識が設けられていなかつたことが道路の設置もしくは管理の瑕疵に該当し、またそのことが道路の設置者もしくは管理者の過失に該当するとも主張していることは上述のとおりである。しかしながら、加害車の運転者である高石が本件事故現場において農道が京葉道路と平面交差をしていることは同人がかねてから知つていたばかりでなく、加害車の進行方向約七四メートル前方の地点に京葉道路を横断すべく待機の姿勢にあつた被害者志満津嘉輝を発見していたことは、さきに認定したとおりである。してみれば、京葉道路側に被控訴人らの主張するような標識の設置がなかつたということと本件事故の発生との間には因果関係はなく、そのような標識の不設置が被害者の発見を困難にしたというような事情は認められないのである。してみれば、被控訴人ら主張のような標識の不設置が道路の設置もしくは管理の瑕疵または道路の設置者もしくは管理者の過失に該るかどうかを論ずるまでもなく、被控訴人らの右主張は理由がないというべきである。

(五)  以上説明のとおり、京葉道路の設置もしくは管理(保存)に瑕疵があつたことによつて本件事故が発生したこと、または本件京葉道路の設置者もしくは管理者に過失があつたことを前提とする被控訴人らの本訴請求は、右の前提事実が肯認し難い以上、その余の争点につき判断するまでもなく、すべて失当として棄却すべきところ、これを結論を異にする原判決は不当であるから、民事訴訟法第三八六条の規定によつてこれを取消すこととし、訴訟費用の負担につき同法第九六条および第八九条の規定を適用し、主文のとおり判決する。

(平賀健太 安達昌彦 後藤文彦)

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